武田鉄矢「今朝の三枚おろし」からオススメ本と、ためになる話。

東海ラジオ・カニたく言ったもん勝ちの9時過ぎコーナー「今朝の三枚おろし」から、武田鉄矢さんが紹介した本や放送内容、ためになる話を記録・紹介しています。

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今朝の三枚おろし【修業論/内田樹】

2013年10月14日~2013年10月18日
2013年10月21日~2013年10月25日 AM東海ラジオ放送まとめ

お腹を凹めようとしてジムに行くと続かない。

目的を持たない方が続く。
柔道では、金メダルを取ろうとする→パワハラが問題。
相撲では、横綱を出そうと必死になり→暴力沙汰の稽古。

修業論 (光文社新書)修業論 (光文社新書)
内田 樹


ウチダ先生は例え話をほとんど使わないから、分かりにくい。
しかし鉄矢さんの持論と、例え話が入り交じる三枚おろし。
どこまでが著者の論かが分からないが、ウチダ論がつづく。

敵を作らないことが、無敵なのである。

例えば、加齢と老化を敵と捉えるなら、
生きていること自体が敵になる。
年をとることは、人の構成要素のひとつなのだ。

因果のなかに自分を置くならば、敵が生まれる。
むやみに敵を作りたがる現代社会。
敵を挙げつづけることは、疲れる。

敵の動きに反応するな

敵の動きを気にするということは、敵に心が捉われている証拠。
「守るべき私」を忘れたとき、武道は最強になる。

目指すものがあるとき、パワーダウンする。
歌もそうで「のっちゃった」ていう瞬間だったりする。
ただひたすらに、のびやかな状態が良い。

ジムに行った回数を数えてると、ロクなことがない。
自分の身体を、自分が支配している思ったら危険だ。

ふと気が付くと、成果がある。
「そろそろ、勝てるだろう」と思っているうちは負ける。

鍛えるという発想が、弱さを構造化させる。

鍛えようとすら、思わない方がよい。
自分を弱さからスタートさせることになる。

動いて、汗かいて、ああ気持ちよかった~だけで良い。
自分も相手も強くなるべく、競争相手を応援しても良い。

「自我」などは存在しない。
幼児期には存在しなかったはずだ。
「自我」は「自己」と言いかえても良い。

自我は、生きるための一個の道具にすぎない。

生命活動の中心にあるものは、生きる力である。
生きる力は、自我機能を停止させる。

「我を忘れた」ことがあるだろう、思い出してみて欲しい。
危機的な意味で考えて、最も邪魔になるものが「自我」である。

災害時、「我先に」では全滅してしまう。
自我を捨て去ることができるのが、生きる力である。

自我を持つ者は、非常時に集団を絶滅に追い込む。
「自我」を脱ぎ捨てるのは、非常時に必要な「情報」を得るため。

武道とは、敵と一体になるための練習ではないだろうか。
敵と一心同体になれるほどに、自我を捨てるのだ。
そうして、敵と共に助かるかも知れない。

私と相手、ではない。
頭がふたつ、手が4本のキマイラ(=複合動物)になるのだ。

その時、自分の身体を操るのは「自我」ではない。
自我を脱ぎ捨てる訓練、それは性的なエロス論とも捉えられる。

人は、神になろうと勘違いしたとき、悪になる。
ヒトラーもムッソリーニもポルポトも、1000年王国を一代で築こうとした。

修行するということは、人が人であろうとする練習。
ジムに行ったり、道場に通ったり、生身であろうとする練習。


修業論(光文社新書)/内田 樹
[ 2013/11/03 07:55 ] 【う】内田樹 | TB(1) | CM(0)
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